【山記録】
日時天候 2007年10月07日(日)曇り
山名標高 向山(670m)からP657へ
山域 鈴鹿
コースタイム
向倉集落口(08:20)~もみじ坂の並木道(09:00)~向倉越(09:30-35)~杉峠(10:04-10)~柳峠休憩(10:30-40)~P657手前で昼食(11:25-12:00)~P657往復(12:05-40)~杉峠(13:25)~向之倉集落口(14:05)
5時間45分(休憩80分程度含む)
距離/累積高度差
人数等 iygsuzuka13人 ミカエリソウ

【軌跡ログ

【足跡】
<奥深い廃村>
 向倉へは、R307号滋賀県多賀町から県道17号(河内風穴へ行く道)に入る。
 途中で芹川の橋を渡る。車で約15分余。舗装はされているが道幅は狭い。
 集落の入口にある広場へ駐車する。7台位駐車可能。
 この奥深い山地に村があるとはとても思えない。
 向之倉は、昭和44年廃村。
 戦後、薪炭を生産し生計をたてていたが生活様式の変化により廃村となった。廃村前の村人は、この山を生活の糧にしていたので、杉峠から東の広大な山地に生産の場を求め分け入ったのである。吉ケ谷に下りエチガ谷あたりまでは活動の範囲と西尾本に書かれていた。
 彼らが歩いた道は、今や風月にさらされ消えてなくなり原始の静けさを取り戻していた。
 当時の面影をなんとか探す。
 ①杉峠に来ると杉の大木に石地蔵さんが鎮座していた。
 ②P657手前(昼食をとった地点)には人の手で造られたような工作物があった。
 池の北方向を上がり少し下ると人間が石垣を積んだような感じのする場所で昼食
 北東方向へ下り上り返すとP657に着く展望なし。その先を、暫く探索するも変化な
し。地図を見るとエチガ谷の下流河内風穴へ落ち込んでいる。
 険しくてとても行けそうもない。後ろからバックバックの声がする。木の隙間から目の前に大きな鍋尻山見えた。

向山(670メートル)
 杉峠の西のピークを言う。仙人の命名らしき名。
 北面の急斜面は迫力がある。著者(西尾寿一)の推測によると、向山という名は、一ピークではなく一連の山地に対して呼ばれる性格のもの。
 つまり向山は「杉峠から河内宮前に至る長大な山稜ではないか」との説である。
 平凡な山頂に来ると、
 木にピンクのテープが巻かれていた鹿除けのものか。
 伐採の目印か。

<杉峠からP657へは迷路> 。
 奥に入ると複雑な地形で迷いやすい。
 P657辺りから先は人が入っていない。
 未知数の山で何かしら怖いもの見たさの魅力あり。
 全コースは展望はきかないヤブ。登っておもしろい山でもない。
 杉峠の大木のみ印象に残った。
 玄人好みのする山であった。

【向之倉集落広場に駐車】

右、駐車地付近。看板の後ろから登る。
下、登山口から10分弱で分岐にでる。
右の尾根道をいく。

【右の道を少し登ると杉の植林に変る】

【急坂を過ぎると平坦な尾根に出る】
 ここは、モミジ坂の並木尾根というらしい

【向倉越→杉集落へ行く道】

左、杉集落へ下りて行く道。右、歩いてきた道。トレスは消え谷側へ転落しそうなところもあり 向倉越は、昔は村の生活道。通る人もなく荒れほうだい。

【向山】
 山頂、展望なし。
 何の特長もない平凡な山だった。

 木にピンクのテープが巻かれていた鹿除けのものか。
 伐採の目印か。

【杉峠にある杉の大】

杉峠。保月と桃原、向倉へのルートとして江戸期、明治期戦前に利用されたものと思われる。

【杉峠の大木】

 杉の大木。樹齢推定400年。胴周りは大人が4人で手が届くので凡そ7ml位。
 枝も立派だった。

【P627を過ぎた地点から霊仙山が見えた】
このルートで唯一視界が開けた。
 
 霊仙山が見えた。
 西南尾根ら最高点・三角点らしき山が見える。
 行きは曇って見えづらかったが帰りは雲が切れていた。

【P657手前にある台地】

最初(左)、低い笹が生えている。
奥へ入ると植林地(右)で伐採していた。
薄い踏み跡が多くあり迷いやすい。

【台地を降りると右にドリーネ】
 ドリーネ周辺は、雰囲気がとても良い。池は余り大きくない。魚もいるとの声あり。こ池の形は不自然である。やや傾斜している地震で口が開いたのだろうか。

昼食地とP657】

左、池の北方向を上がり少し下ると人間が石垣を積んだような感じのする場所で昼食。

【帰路】
二班に別れる。車に乗せてもらったものは、657から少し下ったところから、中村へ降りる。
 昔の道は消えてなくなり、厳しい道でタジタジしたらしい。

 運転してきたものは、元来た道を戻る
距離は、長いが早く下山できた。