【山記録】
日時天候 2006年03月19日(日)吹雪
山名標高 土倉岳(1049.5m)・御池岳(1241m)
山域 鈴鹿
コースタイム
小又谷林道出会(8:39)〜ノタノ坂(8:51〜09:00)〜鉄塔(09:56)〜土倉岳(10:45-52)〜テーブルランド口(11:34)〜ドリーネ(11:54〜12:27)〜丁字尾根口(12:34)〜丁字尾根分岐(13:46)〜ブナ観音(14:11-20)〜小又谷林道出会(14:54-15:05)〜小又谷林道出会(15:15)
○総時間  6時間24分
距離/累積高度差
人数等 iyg25人

【軌跡図】

【暴風雪が荒れ狂う御池テーブルランド奮戦記】
 19日は、朝から台風並みに発達した低気圧が日本列島を通過したので真冬に逆戻り、谷川連峰・仙ノ倉山(2026)で9人遭難2人死亡等各地で山の遭難事故があいついだ。
 鈴鹿の名峰「御池岳」も気象状況は、ほぼ同じように思えた。
 ノタノ坂へ来ると強風で送電線がギシキジと悲鳴をあげる。
 木和田尾でもこの悲鳴を聞いたが、何と不気味な音か。もう鉄塔が壊れないかと触るがビクともしない。風と地震どちらにも強いのだろうか。この付近ではまだまた余裕のある登りであった。

 午前11時20分土倉岳に到着。
 ここは凍でる雪原の台地だが殺風景なところだ。 木の幹に「土倉岳」という表示があるので、何とか分かるが、この台地が山頂とは首をかしげたくなる。木を切ったらサッカーでも出来そうなところだ。だが、この台地にどかっと深雪が積もるのは何故だろうか不思議だ。昨年は、1メートルほど掘ったら三角点がでてきたが、今年は昨年よりもっと深そうだ。周りは低気圧の通過で不気味な風音がして騒がしい。それにもまして凍えそうなほど寒い。この先は、厳しい急登が待っているのでアイゼンをリュックから取り出す。防寒手袋をはめているので手が自由に動かずアイゼンを付けるのに手間取る。写真も2枚撮っていたので仲間から遅れたようだ。もう誰もいなかった。

 御池の南端までは2回来ているので慌てはしなかったが、この悪天候では周囲の状況を冷静に判断しないと危ない。御池岳も見えないし、台地には二本の足跡があるのでコンパスで確認しょうと思ったら、Gさんがいつものニコニコスマイルで近寄ってきた。視界不良で心配してどこかで待っていてくれたようだ。正直言って有難かった。ここで迷うと仙ノ倉山へ登った中年女性のように寒さで凍死ということになる。

 土倉岳から標高差160メートル位、御池岳の南端を目指す。
 この尾根には障害物はなし、風速25メートル以上の強風で雪煙が舞上がる。
 体も凍ってしまいそうに冷たい。とにかく足を前へ出さないと体温が低下し血液の循環が悪い。
 首巻をぐるぐると巻いて目の付近だけ出しているが吐く息でメガネが曇る。足元は凍って滑りやすい。アイゼンを付けていないものも多い。鈴鹿を知り尽くしたベテランたちにはかなわない。このモサたちも荒れた冬山を単独で歩くことはしない。やはり命が惜しい無理をしないとのことか。

 この強風を受けながら滑りやすい尾根を一歩一歩とj前進する。まるでヒマラヤ級の山を登るようなペースで御池岳南端に到着。猛吹雪で数メートル先も見えぬ光景に一瞬たじろう。
数百メートル行った先からは、私は位置が全く分からなくなってしまった。擂鉢状の大きな池が二つある。(トップの写真)擂鉢も雪が積もり浅くなっている。
 どちらの池の方が風がきついか底に下りて見るがどちらも物凄いつむじ風が舞う。
 写真手前([西側)の格好の良い池で昼食をする。
 風と雪が舞う厳しい穴底にとじこもりパンとドンベイを食べるが雪が自然と口の中入る。(オニギリはコチコチに凍って食べられないリュックを開けると中にあるビニールなど軽い物は空高く舞い上がる。防寒用と薄手の手袋2枚重ねてはめているか、動かないので血液の循環が悪くじんじんと冷える。カイロを取りしオーバジャケツトの中に手を入れると冷たいという感覚はなくなる。でも体が冷えてくるので皆立ってリュックを背負いながら飯を食べる。冷凍庫の中に入っているのと同じ状態である。

 ジツトしていると凍傷にやられるので20分ほどで切り上げた。
 擂鉢を出ると物凄い強風が吹き荒れる。ここにいること事態が危険な状況につき丁字尾根を下ることに変更する。毎年(15回)残雪の奥の平に来ているリーダIさんもこんな経験初めてとの弁であった。
 カメラは、リュックへ入れたまま取り出すことさえ苦痛だった。この3枚が貴重な証拠写真となった。