【山記録】
日時天候 2006年04月16日(日)曇り
山名標高 高畑山(608m)・猿ケ山(637m)・比婆山(670m)
山域 鈴鹿
コースタイム
登山口(8:35)〜高畑(10:23〜9:50)〜猿ケ岳(10:45〜10:55)比婆山(11:50)〜比婆神社境内(12:10〜12:55)〜比婆神社鳥居(13:30)〜男鬼集落(13:55〜14:30)〜河内(1540)     
○総タイム 7時間05分
距離/累積高度差
人数等 iygsuzuka

【軌跡図

【足跡】
<地図に山名のない山>
 霊仙山の前衛ともいえる高畑・猿ケ山・比婆山を地形図で探しても名前がない。
 ホームページを検索しても、コースの情報は見当たらず。
 下山してから「鈴鹿の山と谷(西尾寿一著)」を見る。何と素晴らしいところを歩いてきたことに気付く。展望もなく登って見て面白いとも感じなかったので、ただ漠然と歩いてしまったことを悔いる。
 
 西尾氏の記述によると、甲頭倉(こうづくら)からミヤマ峠へ高畑付近に畑があったとか。
 猿ケ山は、甲頭倉の名称。この山は、古い鈴鹿の良さを残しており、下草はなく自由に歩ける。
男鬼(おうり)の村が生まれたのは、神代に遡るという説。それは、比婆神社が近江高天原ではないかとの説からきたもの。
 それにしても、甲頭倉(こうづくら)・入谷(にゅうだん)・男鬼(おうり)霊仙一帯には、峠や寺が沢山ありこれらを繋ぐ山道が今も生きているとある。

<高畑山>
高畑は、ミヤマ峠(廃棄)の南の台地状で608メートル独標のあたりを云う。山相は猿ケ山の延長で河内バス停付近から見るとこの山は砦のように立派である。
ミヤマ峠は、甲頭倉(こうづくら)より入谷(にゅうだん)に至る峠で猿ケ山((637)・高畑(608)の間を越える所を言う。
 ミヤマ峠が通じていた頃は、高畑付近で畑を作っていたという信じられない話し。

 甲頭倉側の斜面は、急陵で高畑への登降は無理とある。
 このコースを日帰りで周回するには、登山口が問題である。
 河内へ突き出しているヤブ尾根から登るとリーダ(I)さんが決めた。ヤブがひどいので雪の消えた今がチャンスとか。花も期待したい。
 地形図を眺めると高畑まで一気に突き上げている

<猿ケ山>
ミヤマ峠の北637メートル台地状のピークが猿ケ山である。
 付近は雑木の茂る鈴鹿らしい雰囲気を漂わせている。丸いドーム状の頂の頂に白い石灰岩のカレンフエルトが点在する特異な風景が展開する。下草も少なく自由に歩き回れて気分の良い山である 古い鈴鹿の良さを残している。
 猿ケ山の名は、甲頭倉の名称で由来不明。昔、サルが多かったのかも。

<男鬼村>
 人間が山とともに暮らしていた昔の姿がこの山地に残っていた。
 炭焼きが盛んな時代、鈴鹿は皆このような雰囲気を持っていた。炭焼きが途絶えると荒れるにまかせた。最後は、ヤブが茂り歩行困難となってしまうのが常である。ところがこの山域では杣道は生きていた。それらの道は今でも立派に役立っている。こんな良い山旅ができる所が都会の近くに眠っていたのだ。
 男鬼村は、霊仙山の西に広がるテーブル状の石灰岩カルスト台地で標高402メートルの準平原地。江戸期には人口1400人。現在は、離村する人が多い。
 戸数は10数軒程度か。山あいなのに日当たりの良い所に家が建つ。人の声も聞こえず静まりかえっていた。
 男鬼(おうり)の村が開かれたのは、遠く神代に遡るという説がある。
 それは、近くにある比婆神社が近江高天原説によるところが大きい。霊仙寺の別院七カ寺のうち男鬼寺がこの村にあったと云われる。

<比婆山>
 比婆神社が「近江高天原」という説は、湖北地方が「出雲国」であったという説を補強するもの。今では、これを信じる人もいて献金で自動車道路もできた。
 広大な神領山林は、すべて二次林で美しいたたずまい。高天原説もうなずける。

【登山口】

 県道17号(多賀醒ヶ井線)安養寺前の道路スペースに駐車し、河内に突き出している尾根から登る。

【河内に突き出してる尾根】

カレンフェルトがゴツゴツと行くてを阻む。木の根っ子を掴みながら這い上がる。最初は植林だが、高度を上げると自然林に変わる。標高500メートルを越える(左)と緩くなる。気温は12℃早くも蛭(右)に出会う。

【ミヤマ峠付近】

左、高畑から下るミヤマ峠付近。
昔は畑があったといわれるだけあって広い。(背後は猿ケ山)
右、ミヤマ峠。

【畑跡は自然に戻っていた】

左、鞍部で休憩。
右、甲頭倉へ降りていく道があったとのこと。畑らしき跡はなく自然の山に戻っていた。

【猿ケ山】

左、猿ケ山で休憩。古き鈴鹿の良さを残しているところ。
右、少し下ったところから、高取方面の山が見えた。

【男鬼村】

 男鬼村は、霊仙山の西に広がるテーブル状の石灰岩カルスト台地で標高402メートルの準平原地。
 江戸期には人口1400人。現在は、離村する人が多い。人は、見かけなかったが生活の匂いがした。

【男鬼町自然の家】

 男鬼町自然の家。
 夏季は、空き家を利用して山の家を開設する。

【比婆山】
 比婆山は、二次林と笹の原で飯盛形をし、奇怪な形状のカレンフェルトが並んだ特異な山である。地形図669の地点より少しズレた植林の中に山頂がある。
 

【比婆神社】
比婆神社。
御神体の白い岩塊を背に西に琵琶湖を拝むように社殿が三つ並んでいる。
 男鬼の村はずれに立派な鳥居が建つ。植林の中の鞍部から左尾根へ入るところにも鳥居がある。100メートル登って更に鳥居がある。石灰岩の奇岩に注連縄が張られている。旧道は通る

【咲いていた花】
        ヒトリシズカ            セツブンソウ
        スミレ             スミレ                ミヤマカタバミ