【山日誌】 | |
山名・ 山域 | 国束山(410m)・鳴子山(375m)・積良山()大日山(302.8m) 三重・玉城町 |
日時・人数 | 2012年8月27日(月)8月28日(火) 単独 |
交通・駐車地・登山口等 | 27日国束山・鳴子山・積良山。登山口は玉城町弘法石。 28日国束山・大日山。の登山口は度会町牧戸。 |
コース・タイム | 27日→登山口9時40分。下山14時。(コースは軌跡図のとおり) 28日→登山口9時50分、下山13時40分。(コースは(軌跡図のとおり) |
【足跡】 |
度会町棚橋や牧戸方面から見る国束山は、個性のある独特の山容をしている。反対側の玉城町側から見るととても同じ山に見えぬ。昔、平生道は登ったことはあるのだが、こんなステキナ山容とは全然記憶なし。とても新鮮に感じた。今回の探索は、行者道と平生道である。国束寺跡から南方面に進む。ここは、平生や坂井の参詣ルートである。以前は、山道が細々と続いていたが、現在は荒れ放題である。100mも進むとヤブ蚊が襲ってくる。暗い尾根なので蛭もいそうだ。何とか先に進もうと思うが、倒木などで前進を阻まれて思うように歩けない。険しい道なのでルートが外れているかもと思い取りあえずバツクすることにした。なんせ入口からジャングルのような草や木が繁っているので、アブや蚊のエジキになる。ムンムンとした暑さの中では不快感が増すばかり。夏は、ダメだと思い探索をあきらめた。行者道。昔、国束寺にいた坊さんが修業したルートである。行者道にも蛭はいたが、立ち止まることもなくすんなりと歩けたが道は良くない。岩屋道を歩いて平生村池へ降りていった。登り返してP276に来る。積良山という名札があった。展望もなくたんたんと歩いて弘法の湯へ戻ってきた。 |
【8月27日の軌跡】 |
【国束山】 |
八幡社・白山社・夜奈塚など古い碑が遺っている。 朽ちかけた「国束山」という名札がある。この他に山頂を示すものがない。いずれこの名札もきえると、 |
【昔の涌福智山国束寺の絵図】 |
江戸時代の絵図と思われる。山上に大きな七堂伽藍があり、寺中に三十六院あったといわれている。 |
【現在の国束寺跡】 |
国束寺境内跡。古文献によると、平安時代の創建。九握(くつか)の神剣を奉納した山というので国束の嵩という。聖徳太子が皇大神宮の神勅に従って本尊を作ったという。現在の国束寺は、平生に移転した。 |
【岩屋窟】 |
人間が入れるだけの大きさはある。 |
【鳴子山】 |
三角点あり。展望はきかない 山名板に100m先天然記念物「大赤樫の木」との表示あり。 |
【登山口から見た国束山(左)と鳴子山右)。登山口の弘法の湯アグリーから撮る】 |
毎年恒例のかかしが、展示されていました。 |
【大日山へは牧戸から入る】 |
伊勢市宮川堤内ゲートホール場付近から見た大日山は、丸みを帯びた美しい山に見える。反対側の度会町牧戸付近から見た大日山は、子供が絵を描く教科書になるような山である。遠くから見て美しい山は、大日岳である。近くから見て美しい山は、国束山である。両山は、隣の位置に存在するのだがまさに好対照の山である。大日山の登り口は、2箇所。東側の棚橋池前の県道から入る。南側の牧戸は高規格の農道から入る。参詣道で山頂まで40分ほど。 |
【8月28日軌跡図】 |
【大日山へは牧戸から入る】 |
【参詣道を行くと子宝水あり】 |
【上部で岩坂峠から来た道と合流する】 |
【大日山】 |
展望なし。参詣道を行く。下りの牧戸池へはヤブ道。 |
【牧戸池へ下る山道】 |
【牧戸池】 |
【度会町本郷へ下山】 |