阿蘇浅間山〜網掛山 |
コース | 登山口〜女浅間山〜阿曽浅間山〜モミジ谷西口〜網掛山〜林道〜登山口 |
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マップ地図 |
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ちようかい図 |
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【山行録】 |
三重県度会郡大紀町にある網掛(あみかかり)山と阿曽浅間山へ初めて登る。 南勢志摩には、浅間山と呼ばれる山が多い。何故この名が付けられているのか興味深い。 この山に関する情報は乏しく登山口さえ分からない。 宮川流域交流館「タイキ」でもらったマップ地図(上のところクリック)を見て歩いた。 登山タイムは、4時間余。登山路は整備され歩きやすかった。 このマップによると網掛山から国見岩山(県道阿蘇峠へ)まで縦走する上級コース(7時間・12K)もあることが分かったので、ぜひ挑戦したい。 なお、途中の「大内の高」へは、鞍部(もみじ谷東口)から1k余70分で行ける。頂上(564m)には、鉄塔と三角点がある。340度の視界で、迷岳・高見山・日出ケ岳など台高の主峰が見えるとあった。 今回、分かったことは崖っぷちに女浅間山という山があった。それでは、男浅間山あるのだろうか。それとも阿曽浅間山のことだろうか。阿曽浅間山の山頂は、高原のような広い森。祠など探したが見あらず。山は黙して語らずだった。 下山してから、タイキで「阿曽浅間山」の全景写真を見せてもらった。 「阿曽浅間山は、なだらかな三角錐をした美しい山だった。コブが二つあることから低い峰が女浅間山と高いほうが男浅間山だろう。総称して阿曽浅間山ということにしておこう。 網掛山からの展望はなし。周囲の雰囲気は良い。 もみじ谷で、宮川流域・もみじ谷案内人の小野さんとお会いした。 小野さんは、定年退職してからコツコツと網掛山の登山道を整備しながらガイドや歩こう会の世話もしているとのこと。 網掛山の秋は、紅葉が素晴らしいのでぜひ11月にも来て欲しい。帰りには、宮川流域交流館「タイキ」をぜひ尋ねてくださいとのお話であった。まさにこの山の主人というべき人でした。 下りは、林道を歩く。滝原浅間山や七洞岳が見える展望が良い。途中、セッコク岩登り口への標識があった。セッコク岩は、石段や石垣のある開墾地とある。道草をしょうと思ったが相棒の調子が悪く素通りする。 帰路、「タイキ」に寄り小野さんのことを話しをすると事務員さんから「充実のセカンドライフ」という記事を見せてもらう。そこに彼の活動内容が詳しく載っていた。 |
【あんの谷登山口】 |
![]() ![]() もみじ谷案内人(小野幸年さん)の紹介記事。 昔、網掛山は、"宝の山"とも呼ばれていた。マンガン、大里石、石灰岩などの鉱山資源が人々の生活を支えてきた。時代が変わり都会へ働きに出かけるようになった今は、網掛山の存在も希薄となり、若者達は、この里山に足を運ぶ人はいない。山は荒れ果て道は荒廃していた。かって私達を助けてくれた山をもう一度地元の人に知って欲しい。と一人でチエーンソーを片手に道なき山に「道」をつくり全長40キロ整備した。 |
【あんの谷平。林道からも入れる】 |
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【女浅間山からの展望】 |
![]() しかし、ここを山というのも変だなあ。崖っぷちの一部だ。手前の標識にキッスマークも何の意味。 |
【阿曽浅間山の山頂は高原のようなところ】 |
![]() 浅間とは、祠など探したが、それらしきもの見あたらず。 |
【幸の森】 | |
![]() ![]() 幸の森からの展望。 |
【林道終点から林道を下山】 |
![]() ![]() 林道から滝原浅間山や七洞岳が見える展望が良い。 網掛山名の由来は、網掛山と隣山の鞍部が狭く低いため渡りの道となっており、網を張り捕獲したことからことから呼ばれるようになったと伝えられている。 |
【網掛山は宝の山といわれた採石跡】 |
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【もみじ谷で山の主にあう】 |
![]() ![]() 今日も、もみじ谷の登山道を整備していた。 |
![]() 西側は、もみじの木が少なく、雑木を伐採し若木を育成している。とのこと。 |
【宮川流域ルネッサンス2006VOL.32掲載のもみじ谷】 |
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【植物と花の出会い】 |
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【網掛山】 |
![]() ![]() 山頂からの展望はなし。かなり広く明るくゆったりとしている。こんもり高くなったところに船三ひまわり会が製作した案内標識あるのみ。 |