【山記録】 | |
日時・天候 | 2020年06月04日(金)・晴 |
山名・山域(整理区分) | 成知山(285m)・御領山()・鳴子山(374.8m)・国束山(411m) |
交通・駐車地等 | 自宅から車で30分。アスピア玉城へ駐車。 |
コース・タイム |
アスピア玉城(08:20)~女鬼峠北口(09:03-10)~展望台(09:30-45)~成知山(10:45-50)~御領山(11:15)~鳴子山(11:28-40)~国束山(12:04-12:55)~国束山登山口(13:37)~アスピア玉城(14:10) 総タイム5時間50分(休憩・撮影・探索120分程度含む) |
距離/累積高低差 | 沿面距離10.6km 累積標高+854m -738m |
人数/登山レペル | 単独/中級 |
【軌跡ログ・画面クリックで25000図に拡大】 |
【足跡】 |
<前書き> 国束山へは、今までに東西南北から登頂している。 今回のコースは、「アスピア玉城~女鬼峠~成知山~御嶺山~鳴子山~国束山~アスピア玉城」の周回である。 そのうち「女鬼峠~成知山~御嶺山」は、初登頂である。 山の様子が全く分からないので、ネット検索したが最近の山記録を見つけられなかった。 古い記録(2012年2月)の中には、興味深いものあり。 Gooブログに下記の写真が掲載されていた。 ①女鬼峠茶屋跡に「天孫山・水神山→」の標識プレイト。 ②福地山の山名プレイト。 ③蛙峠の山名プレイト。 今回、確認のため注意深く歩いたが何れも木の標識なので朽ち果て無くなっていた。 、故郷の山・著名人「いせ青木」さんのプレイトもこの3か所にはなかった。 このルートは、「天孫界道とも呼ばれているらしい」との記事もあり。興味が沸いた。 女鬼峠茶屋跡にあった標識の天孫山は、何処にあるのだろうか。 標識から考査すると、女鬼峠の西を指さしているのでP153(新女鬼峠トンネル)辺りだろうか。(左の写真は、Gooブログに載せてあったものを借用。場所は、女鬼峠茶屋跡です) <山レポ> 鳴子山山頂には、「女鬼峠」への標識があり。何時か歩こうとの思いをしていた。 熊野古道で知られている「女鬼峠」も国土地理院の地図にも書かれていない。 コースは、数少ないネット情報で計画をした。 歩いての周回コース。 帰りに温泉風呂に入れる「弘法温泉玉城アストピア」を出発地とした。 8時20分玉城アストピア出発。登山口の「女鬼峠北」へ9時03分着。40分余要した。 「女鬼峠」周辺は、解りやすい案内板が整備されていた。 熊野古道・世界遺産指定から年数が経っているので、案内板も古さを感じる。 メインは、「茶屋跡~岩の切通し~如意輪観音堂」。歴史の重みが伝わってくる。 女鬼峠頂上展望台に上がると、可愛いい「めきこちゃん」が待っていてくれる。 山々を眺めるところに、鈴木牧之氏の句が書かれている。 「ちきれ~雲井に雁の名残かな 熊野路の春や淋しき 人通り」 前には、獅子ケ岳・七洞岳・三谷山・滝原浅間山の大パノラマが見える。 女鬼峠頂上展望台から下ったところの分岐に「国束山」への標識がある。 国束山まで展望のない尾根です。 この尾根にも、(三重県南部の山に多い)シダの植生が見られる。 登山道を外すと、厄介である。 一度、間違いヤブの中に入ったら虫に腹を二か所も刺されていた。 夏は、避けた方が良いのではないかと思いました。 「女鬼峠~成知山」間は、踏み跡薄くテープも古くて分かりにくい。 歩いている人は、いないような感じかしました。 |
【熊野古道伊勢路の出発地ー田丸城跡】 |
田丸城跡。 伊勢参宮をすませた旅人たちは、田丸周辺で旅姿を白装束に着替え、はるか遠い熊野をめざした田丸は、熊野古道伊勢路の出発地である。 |
田丸城から見た女鬼峠方面の山。 |
【女鬼峠北ー熊野古道入口】 |
上、 北女鬼峠に建つ、熊野古道伊勢路の案内板の一部を 切り抜く。 左、 北女鬼峠の標識。 ここが、熊野古道伊勢路の入口。 下、 案内板にある現在位置。 |
【轍跡】 |
左、 案内板からすぐ先にある 荷車の轍。 当時、荷車が頻繁に往来し出来た跡。 |
【女鬼峠】 |
熊野古道の伊勢路の最初の峠。外人用Mekik-toge Passと英語でも標示されている。世界遺産指定により整備されたようだ。 |
【水飲み場跡】 |
【茶屋跡】 |
上、 茶屋跡。 左、 茶屋跡にある案内板。 下、 茶屋跡に建つ案内標識。 直ぐ先が切り通しです。この辺は、古道という感じです。 |
【女鬼峠の切り通し】 |
<説明板の記事> 女鬼峠の山頂部は、石墨千枚岩を堀割って通した道です。峠には切通しの崩落を防ぐための古い石積みも見られます。 この切通しがいつ頃完成したかは、不明ですが、当時の堀割技術を考えるとかなりの難工事であったことがうかがわれます。また、この平地は、整備された跡があり茶屋があったのではないかと思われます。 |
【如意輪観音堂】 |
上、 如意輪観音像。 左、 傍らにある説明板。 下、 如意輪観音像と名号碑。 |
【女鬼峠頂上展望台】 |
指示標識に従い頂上展望台に来る。 上、 展望台にある歌詞とめきこちゃん。 |
【国束山へのルート】 |
上、 ルート間違い シダ漕ぎを強いられる。 左、 間違いポイント尾根下の道が正しい。右へ行くと道がなくなる 下、 ヤブ漕ぎで本ルートに戻るが、虫に二か所刺された。 |
【注意ポイント地点】 |
成知山へは、左の尾根筋を行く。 突然、林道が現る。この道、何処へ繋がっているのだろうか。 |
【P285は成知山の標識】 |
成知山。 樹林に覆われている。 暗い感じはしないが平凡なところ。 |
【樹林の隙間から見えた山は、獅子ケ岳から七洞ケ岳か】 |
【御領山】 |
山名プレイトがないと通過点に過ぎない。 西ルートは、地図を見ると相鹿瀬へと降りていくようです。 |
【鳴子山】 |
上左、 鳴子山三角点。 上右、 山頂にある女鬼峠の標識。古い標識で来るたびに気になった。左、 鳴子山。樹林に覆われた小広場で明るい。一服するのには良い。 |
【国束山】 |
上、 国束山。 左、 八幡社。 ここで昼食をとる。 下、 国束山からの展望。 正面に朝熊ケ岳。手前は、前山から鷲嶺へと続く。 |
【国束寺跡】 |
国束寺境内跡。 |
古文献によると、平安時代の創建。九握(くつか)の神剣を奉納した山というので国束の嵩という。聖徳太子が皇大神宮の神勅に従って本尊を作ったという現在の国束寺は、平生に移転した。 |
昔の涌福智山国束寺の絵図。 江戸時代の絵図と思われる。山上に大きな七堂伽藍があり、寺中に三十六院あったといわれている |
【国束山登山口】 |
左、 国束山登山口。 国束寺への古道。価値ある歴史道なので訪れる人は多し。 |
【日本武尊伝説の鑑石】 |
日本武尊が、毀れた剣の刀を研がれた石との伝説と書かれてます。 |