【山記録】
日時・天候  2017年06月15日(木)/晴 
山名 山上ケ岳(1719.2m)/日本百名山
山域 奈良県・大峰
コース・タイム 毛又橋P(05:45)~五番関登山口(06:40-50)~五番関(07:05-10)~鍋担ぎ行者・朝食(07:50-08:15)~洞辻茶屋(09:30-50)~鐘掛岩(10:30-53)~西の覗岩(11:10-20)~山上ケ岳・昼食(11:30-12:15)~レンゲ道分岐(12:20)~レンゲ辻(12:50-55)~林道終点(13:55)~毛又橋(P14:25)
総タイム8時間40分(休憩・撮影タイム130分程度含む)/実タイム6時間30分
昭文社地図実タイム6時間35分。
距離/ 高低差 沿面距離17.2km /累積高低差+1161m - 1135m
団体名・人数  単独/写真撮影数280枚 山上ケ岳三角点

【軌跡・山旅25000図87%縮小】

足跡】
<深田久弥大峯山登頂録>
 4月中旬、まだ扉開き(開山のこと)j前に、私は泉州山岳会の仲西政一郎さんの案内で大峰山を訪れた。まず山上ケ岳へ登るために、山麓の洞川(どろがわ)までバスで行った。ここは昔からの登山口で、開山期には登山者でどの宿も一ぱいになるそうである。そこの竜泉寺の境内には水の湧く池があって修験者はそこで水垢離(みずごり)をして登ることになっている。境内に立っている「女人不許人」という石碑が示す通り、ここから女性の登山は禁じられている。
 洞川から立派な参道がついている。稜線上の洞辻茶屋へ出ると、吉野の方からの縦走路と一致する。
 洞辻茶屋から山上ケ岳までの主稜中に、岩壁の上を通るところがあって、そこに有名な「西の覗き」がある。先達が登山者に命じて岩の上から深い谷を覗かせる。もしそこで親孝行を誓わないと、下へ落ちるというのである。
 私たちは、まだ人のいない龍泉寺の宿坊へ泊まって、翌朝頂上に立った。(昭和37年4月23日)
 なお、皇太子浩宮殿下も平成9年6月15日に登頂された。

<山レポ>
 登山3日前、ネット検索し洞川温泉「あたらし」旅館へ予約した。
 6月14日夕刻、七夕飾りがあちこちに見られる洞川に着く。
 持影橋を渡ると洞川温泉街に入る。通称「行者さん通り」といわれる狭い道路の両側に宿坊が長屋のようにギッシリと並んでいる。このような状態なのでどの宿も駐車場スペースが少ない。多くの宿は、客用の駐車地はないといっても過言ではない。この町は、昭和時代にタイムスリップしたような感じさえする。
 ゆっくり車を走らせながら宿を探すと「あたらし旅館」は直ぐ見つかった。
 門から奥を見ると車を留めるようなところはない。突然、中から宿の主人が飛び出して来て幅の狭い玄関前に留めてくれと云われた。後から来るお客様のことを考えるとーーこれでよいのかなぁと思いだがーーご主人のバックオーライの合図に従った。
 宿帳にサインをしロビーに入ると宝物を見つけた。
 廊下の壁に「山ありてわが人生は楽し」深田久弥(日本百名山著者)と書かれた色紙が壁にかけられていた。
 ご主人に話を聞くと、当時の宿帳を見せてもらった。それには尊敬する深田久弥・仲西政一郎・森田昌孝と3人の名前が書かれていた。なんと幸運なことだろう。日本百名山本は自分にとってもお宝だ。
 深田久弥とお会いしたような気持になった。
 良質の温泉に浸かりながら明日の山上ケ岳登頂に思いを馳せた。

 6月15日
 6時40分五番関登山口。
 「あたらし」旅館5時30分発~毛又橋駐車地5時45分着ー林道徒歩ー五番関登山口6時40分着/6時50分発。
 毛又林道は、道幅が広く走りやすい。1時間ほど歩いて五番関トンネル前に到着。
 登山口は、東屋もあり小公園に整備され明るく雰囲気は良い。
 だが、1枚の張り紙に緊張した。
 張り紙を見ると、「男性名と顔写真(63才・身長150cm)付で今だ還らず探しています捜査にご協力ください」との文面である。日時は、2016.11.03午前8時頃、洞川温泉駐車場に車を留めた後、山上ケ岳か稲村岳方面へ登ったと書かれていた。 恐らく単独と思われる。単独登山の多い自分と重なる。出かける前には、登山コース地図を家内に渡してから出かけているが大自然相手なので不安な気持ちになる。
 
 7時05分五番関
 「左、吉野、右山上ケ岳」の標識あり。ここが奥駆五番関である。
 前には、女人禁制の門がある。1300年続いた宗教的な掟だ。
 全国にあった女人禁制の山は、殆どが解除され現存しているのは大峯のみと聞く。
 女人禁制は、時代の変化になじまないが1300年続いた宗教的な掟をどのように解決するか。
 賛否両論あろうが、女性代表として小池東京都知事のご意見をお聞きしたいものだ。
 さて、登山者としてこの山に登るには引け目を感じる。
 「あたらし」旅館でお借りした大峯杖と頭に白い鉢巻をしてリュックを背負う。
 新登山衣スタイルで大峯山を目指す。
 今日は、素晴らしいお天気なのに山上ケ岳まで誰にもあわず1人修行の山行きだった。

 9時30分洞辻茶屋
 ここは、大峰大橋(昔の地図名清浄大橋)から登って来る道との合流点である。
 大峰大橋から(洞辻茶屋までは90分程度)は、一般コースなので登る人が多い。
 この洞辻茶屋は、山上ヶ岳の巡礼者のために設けられた歴史のある茶屋である。
 茶屋という名称だが、内部には祠や礼拝所があり、あくまで巡礼施設の一種。
 内部にはベンチなどがあり自由に休憩できるが、利用にあたっては礼拝施設であることは心得ておきたい。
 休日には売店が営業する。 今日は平日で誰もいなかった。
 下山途中、林道から荷揚用のロープウエイが山の上へと延びていた。
 地図を見たら恐らく洞辻茶屋辺りに繋がっているものと思えた。

 11時30分大峯山
 大峯山は、修験道の山として山伏の修行の場で吉野山から熊野へ続く長い山脈全体の意。
 山全体を聖域として現在でも女人禁制が維持されている。
 その中心は、山上ヶ岳頂上付近にある大峯山寺山上蔵王堂である。
 11時35分大峯山寺蔵王堂礼拝。
 大峯山寺の中に入るとローソクの灯りのみで暗い。売店で大峯山御守を500円を買う。
 寺には2人の僧侶がいた。外からなら内の写真をとってもよいということなので撮影させて貰った。
 お寺前にある木のベンチに座り食事をとる。隣には法螺貝が置かれていた。
 僧侶は、法螺貝の存在に気づき自分の横にやって来た。

 そこで、レンゲ道(下山道)の分岐を聞いた。
 山上ケ岳山頂は、5分程度。そこから「北西方向500mほど先にレンゲ道との分岐あり」と教えて貰った。
 だが、レンゲ道は行かない方が良い。もう1人の僧侶からもレンゲ道へ下るのはダメだと云われた。
 その理由は、谷筋へ下る道は迷う人が多く死者も出ているとのこと。単独歩きは危険とのことらしい。
 ご指敵ありがとうございます。と云ってお別れした。
 この進言を肝に銘じてレンゲ道を下る。
 レンゲ辻には女人結界門がある。
 この先、谷道を下る。分かりにくいところもあるがテープもあり慎重に歩けば問題はなし。
 途中、4人の人とすれ違った。林道終点から登ると最短距離で山上ケ岳へ来られる。

深田久弥(日本百名山著者)が泊った宿に前泊】

左、大洞温泉街。右、深田久弥が宿泊した宿。
現在の宿名は、「あたらし旅館」。

左、宿帳。昭和37年4月22日深田久弥は、ガイドを含め3人で「大洞温泉~山上ケ岳~弥山」へ登山した。
中と右は深田久弥自筆の句。
「山ありてわが人生は楽し」
「なべて頂に憩あり」

【毛又橋と駐車地】
上左、
毛又橋。

上右、
駐車地近くにある標識。

左、
毛又橋から100m先の林道脇に駐車。
 

【林道を歩いて吉野道五番関へ】
上左、
五番関トンネル南口が登山口。ここには東屋があり小公園として整備されている。10台程度駐車可能。

上右
登山口標識近くに、遭難者救援情報依頼の張り紙あり。

左、
登山口。
駐車地から林道を1時間弱歩いてトンネル手前の登山口に到着。

【奥駆五番関から入る】
上左、
奥駆道標識
右、山上ケ岳左、吉野山

左、
奥駆五番関。
入口に女人禁制門が建つ。

【鍋冠行者】

右、鍋かつぎ行者。祠前に鍋が置かれていた。
この鍋重そう。かなりの体力がいる。
左、
鍋冠行者堂縁起の説明板あり。
 大蛇が口から火を噴き火の玉となって行者に振りかかる。行者は食事用に携帯していた鍋を被り難を逃れたと書かれている。

 ここで、あたらし旅館で造って貰ったおにぎりを食べ朝食を済ます。

【160丁関】

左、巻き道があり。右尾根の行者道をとる。
左、
尾根道と巻き道の合流点に来ると、160丁石のと書かれた石碑あり。

大峯奥駆は、
1番は、熊野本宮証誠殿。
結願所は、75番が柳の宿となっている。

【今宿跡】

広々とした平地が今宿跡と書かれた名札あり。
開けたところから台高らしき山が見えた。(下)

【165丁石】
 大峯行者道「百六十五丁」との標石が建つ。
 始点は、吉野か熊野か分からず。

【フイックスロープ・鎖あり】

鎖は、持たず。三点支持で登る。

【標高1470m】

 標高1470mコブ二つあり。高原らしい雰囲気で気分爽快。大天井ケ岳が望めた。

【洞辻茶屋】
 大峰大橋(昔の地図名清浄大橋)から登って来る道との合流点でもある。
 合流点には、大きな洞辻茶屋がある。
 開山日後の休日には売店がオープンすると聞いたが?
 皇太子殿下もここに立ち寄られたとの表示あり。
 茶屋の中に入ると、修験場の雰囲気を感ずる。
「円満不動明王」と書かれたのぼり旗が多く掲げられている。
 周辺には、修験者の名前や日時を記した木札や石字が沢山あり。中には、平成29年6月24日平霊峯山上詣りと書かれた旗もある。今日は15日だから10日先に修行に参上するということか。
 洞辻茶屋は霊場という雰囲気がみなぎる。
 ここにいると自然と魂が洗われるよ。

【だらすけ茶屋】
 だらにすけ(
陀羅尼助)は、千三百年の歴史を持つ胃腸のお薬。

 大峯山の役行者その製法を伝えたと言われている

 洞川温泉、どの宿にも「だらにすけ」という名前が氾濫していた。
 当地(お伊勢さん)にも、
江戸時代創業の「万金丹」という漢方の胃腸薬が今も売られている。

【松清茶屋】

 事故等があった場合の緊急救護所の看板が、松清茶屋の裏側にあり。
左、
 松清茶屋前に案内板が建つ。
 行者道を行く。

【左の行者道を行く】

松清茶屋裏にある時計。10時10分通過。

【油こぼし】
上、
油コボシ。
急な長い階段が連続しているが怖いという感じはしないが、雨のときは要注意

左、
行者修行申し込み心得が途中にあり

下、
少し荒れた道を登ると岩場が見えてきた回り込むように岩を登ると展望台に出る。ここが展望の良い鐘掛岩という行場に着く。

【鐘掛岩】
上、
行場の鐘掛岩。鐘掛岩改修した人の名前が記された碑が建つ。

左、
鐘掛岩舞台。

下、
舞台からの展望。

【お亀石・石玉垣】

【大峯山等覚門】
左、
この門を潜ると本山の寺は近い

【宿坊】

【西の覗】
上、
西覗岩。

左、
覗岩。。
断崖絶壁の地形となっている。
この絶壁の先端から下を覗くというのが、修験道捨身行の1つである。荒行場有名なところ

下、
西覗岩からの展望。
左端、稲村岳尖った山が大日岳。

【深田久弥が泊まった宿坊・龍泉寺】

下、龍泉寺前(東方向)に見えた山並。帰宅後調べたら台高の中井高・鯎谷高・仙千代ケ峰方面か。

【世界遺産の大峯山寺】

上左、大峯山寺山門。上右、境内にある皇太子登山記念碑
左、大峯山寺周辺詳細図。右、大峯山寺の内部。
下、大峯山寺外観。
左、
世界遺産大峯山寺は、修験道の寺院であり、大峯山山上ヶ岳の山頂に建つ。
毎年5月3日に戸開式、9月23日に戸閉式が行われる。
また、大峯山山上ヶ岳は、宗教的な理由から今なお女人禁制を守り続けている。
(wikipeda)

【標識には「日本百名山・山上ケ岳1719.2m」と書かれている】

【下山口】
 山上ケ岳から分岐まで5分。
 分岐からレンゲ辻まで30分。

 

【レンゲ辻】

女人結界門あり。この先、女性は入れない。

【林道終点へ下山】
林道終点から毛又橋まで30分。