「五木の子守り唄」熊本県民謡、
1 おどま盆ぎり盆ぎり
  盆から先ゃおらんと
  盆が早(はよ)くりゃ早もどる

2 おどまかんじんかんじん
  あん人たちゃよか衆(し)
  よか衆よか帯よか着物(きもん)

3 おどんがうっ死(ち)んちゅうて誰(だい)が泣(に)ゃてくりゅか
 裏の松山蝉が鳴く

4 蝉じゃごんせぬ妹(いもと)でござる
 妹泣くなよ 気にかかる
5 おどんがうっ死んだら
  道ばちゃいけろ
  通る人ごち花あぎゅう

6 花はなんの花
  つんつん椿
  水は天からもらい水
「二木絞三歌物語り」から引用。 
 山深い五木村は、昔は一握りの地主が土地を所有し、村人の多くは地主の下で林業に従事するか、借り受けたわずかばかりの土地で焼き畑農業を営むほかありませんでした。
 当然、彼らの生活は食うのがやっとで、子どもたちは7、8歳になると、口減らしのために、人吉や八代の豊かな商家や農家に奉公に出されました。奉公とはいうものの、「食べさせてもらうだけでよく、給金はいらない」という約束が普通だったといいます。

 食べさせてもらうといっても、家族とは違う粗末な食べ物しか与えられず、子守りだけでなく、さまざまな用事をさせられました。女の子の場合は、無道ないたずらをされることもあったようです。
 毎日の生活は、7,8歳から10歳前後の子どもが死を思うほどに、きつく、辛いものでした。
 子どもたちは、そうした仕事の辛さや望郷の思いを即興的に歌うことによって、わずかな慰めを見いだしました。こうして成立したのが、『五木の子守唄』です。