(オーストリァ〜リヒテンシュタイン〜スイスを行く)

日程
日時 1999年7月8日〜15日(8日間
企画 アルパインツァー梶E新ハイキング関西
人数 塚本ツァリーダほか18名。現地ガイ゛ト高橋
行程
8日 関西空港14:00発(フランクフルト空港乗継ぐ)
チューリッヒ空港17:30着

専用バスにてオーバグルグルホテル23:20着。
hotel enzian 0berrgurglへ宿泊。

hotel enzian (8日9日宿泊)


hotel seehof (10日・12日宿泊)

kesch hutte(11日宿泊)
9日 ホテル発9:50( リフト2本)ホーエムート10:40氷河分岐11:20ーシェーンヴィース小屋12:30(昼食)13:30リフトのりば14:15〜15:25ーホツホーグルグル分岐15:30ーホテル着16:35
hotel enzian 0berrgurgl(エンチアン)へ宿泊。
10日 ホテル発8:35 バスにてリヒテンシュタイン11:45(昼食
13:40(バス)マインフェルト14:10ーハイジ博物館14:40ーマインフェルト駅前15:47(バス)ダボスホテル16:55着
hotel seehof dabos(シーホフ)へ宿泊。
11日 ホテル発8:55(バス)デルボーデン9:30ースカレッタ峠10:50ー谷道分岐12:25(昼食)13:00ーセルティック峠道分岐14:45ー谷道合流点15:20ー小屋16:20着
kesch hutte(ケッシュヒュッテ)へ宿泊
12日 ケッシュ小屋8:00ーミグナクラ9:05ーシャンツ9:50ーワールダバンント11:25ーベルギマン12:16(昼食)13:30(バス)ダボスホテル14:30着
hotel seehof dabos(シーホフ)へ宿泊。
13日 ホテル発8:30バスにてダボスプラッツ駅8:40(氷河特急)ーアンデルマット13:30(バス)ーチュリッヒホテル着15:30
hotel glockenhof(グロッケンホフ)へ宿泊
14日 ホテル発9:00(バス・市内見物) チュウリッヒ空発11:30〜17:00(事故のため14時出発が延期)
15日 関西空港11:50着

7月8日(1日目
関西空港へ10時50分集合。
 朝6時家を出る。松阪から近鉄特急に乗り換え9時過ぎ上本町に到着。駅前からリムジンバスで関西空港へ向かう1時間ほどでターミナルに到着。ビル四階の団体受付にはA旅行会社の係員と数名の人がスーツケースにリュックを背負い期待に胸を膨らませ集まっていた。定刻には、ツアリーダの塚元さん始め19人(男7・女12)全員が揃い、出国の手続きを済ませスイス航空に乗り込む。定員286人のMD−11機は満席の盛況である。シーズンを迎えたスイス旅行は人気が高い14時に出発するとすぐに昼食が出る。通貨ユーロの影響か自国産より安いフランス産のワインが配られる。機内モニターのフライトマップは、韓国上空から黄海に入っていく。機内誌の航空路線地図で確かめると、北京から内モンゴールを経てトルファン・カムチの上飛をんでロシアに入り、ノボシピルスクからワルシャワ・ニュールンペルク・チュリッヒという経路をとることが判った。シルクロードの上空を一部飛ぶことになる。機内モニターがアルタイ山脈あたりを示す頃、窓の外を見ると、頂に雪をいだいた赤茶色の渺茫(びょうぼう)たる山並みが広がる。どのコースを飛ぶにしろ12時間の空旅はつらい。狭い座席に縛り付けられて、音楽を聴くにしろ、テレビを観るにしろ、本を読むにしろすぐに疲れてしまう。手足も自由に伸ばせないので飛行機症候群になってしまう。食事と食事の間は酒を飲んで居眠りしているのが最も賢い過ごし方のようだが、酒の飲めないものは、辛抱するしかないだろう。飛行機に乗るのが飽きた頃、17時30分チュリッヒに着く。ヨーロッパは夏時間のため、まだまだ日が高いので明るい。スイスの入国手続きは、入管も税関もフリーパスに近い。日本人の信用が高いのは有り難いが、パスポートに入国スタンプを捺されないことは淋しい。制限エリアを出ると現地ガイドの高橋さんが出迎えてくれた。
 バスに乗り換えてオーバグルグルまで5時間の旅。片道3車線のハイウェイを200キロ近いスピードで走っている。ドイツ車が多いが、日本車も見受ける。バスもフルスピードだ制限速度はないようだ。
 スイスとオーストリアの国境は、小さな建物があり、両国の国旗が掲げてあるだけの簡単なもの。警備の兵士が手を振って通過を許可してくれると隣国に入ると一般道で山間の集落を抜けていく。辺りはすっかり暗くなる、7時なのに営業時間が過ぎたのか店の灯りは消え街中は暗い。夜も更けた23時オーバグルグルのホテルに着いた。

7月9日(2日目)


上の写真は、ホーエムート氷河。ここまでは悪天候で行けなかった。
 朝、ホテルの窓から外を見ると雲が低く小雨が降っている。チロルの山群はオーストリアの西南部にありその中心は、冬季オリンピックの開催地だったインスブルック。オーバグルグルはチロル南端の山間部にあり小さなスキーリゾートの小さな村である。南に見える山並みはイタリアとの国境になっている。アルプス三大名花の一つエンチアンの名を称するホテルは,小ぢんまりしたスキーの宿で、家族だけで経営しているようだ。朝食はヨーロツパ方式にバイキングを加味した簡単なものだが、牛乳とパンは美味しい。この後、滞在中も牛乳とパンは日本にない味を楽しむことができた。天候が悪いため出発を遅らせて10時にホテルを出て山へ向かう。玄関脇の寒暖計は10度を示しており、雨具を着けていても結構寒い。リフトを2回乗り換えて2630メートルのホームエートまで登ると、気温はは更に下がって6度になった。ハイキングコースは番号で分類されている。数字の道標にしたがって氷河と谷道の分岐まで来たが、ガスが濃く雨は降り止まない。氷河見物を諦め、谷道をくだり、ジューネヴ小屋まで歩いて昼食をとる頃になって雨が止んだ。登りに使ったリフトの下の道をくだつて行くと雲が切れて日が射してきた。放牧の上を牛がのんびり草を食(は)んでいる。岩の上にマーモットが立ち愛嬌のある顔でこちらを眺めている姿を発見した。すぐに草のなかに姿を消した、この眼で見たのはこれが始めてである。ホテルに帰るのは早すぎる時間のため、少し遠回りする。リフト山麓駅からもう一度山に入り、村を左手下に眺めながらホッホグルグルの方へ歩いて行く。谷川を渡り車道を横断して、周遊コースを村の引き返すと広大なお花畑が現れた。赤・白・黄・紫の高山植物が地表を埋め尽していて、足の踏み場もないほどだ。花のカーペツトのなかに座り込んで顔を埋めカメラを構えるが、花のボリュウムに負けてしまう。僅か一日だけのチロルの山歩きの前半は雨に祟られたが、 後半は十分に満足できる内容だった。

【山麓駅からもう一度山に入り、村を左手下に眺めながらホッホグルグルの方へ歩く】

エンチアンホテルへ下る道は花花ーー花カーペットに寝転ぶ

7月10日(3日目)
7月10日は、移動日。今日もまた雨になったが、バスがリヒテンシュタインに着く頃には晴れてきたイスとオーストリアに挟まれた160Kuの面積小豆島よりやや小さい。ここに二万七千人が住むというおとぎのような世界一小さな独立国である。外交・通貨はスイスに依存しているが、郵便切手は美しい自国のものを発行して外貨を稼いでいる。国境はフリーパスだが、希望者には有料で入国スタンプを捺す事務所があり、観光客は喜んで捺印を受けていた。入国スタンブを観光収入に使うという智慧には感心するほかない。丘の上の小さな城には、国王が住んでおり、時折街に姿を見せるそうだ。花で飾られた中心部はまるでディズニランドを思わせる美しさに満ちている。時間が足りないため、切手博物館や王立美術家を見物出来なかったのは残念。昼食の魚料理はなかなかの味だった。

 ヒテンシュタインは世界一小さな国はおとぎの国のようだ】
 上は、メインのシュテンシュテットレ通り。右下は郵便博物館で記念スタンプを捺してもらった。有料です

【マイエンフェルト】
 リヒテンシュタインから約1一時間で「アルプスの少女ハイジ」の舞台となったマイエンフェルトに着く。村で、バスを降りて約二時間の散策。広い牧場の一隅に十九世紀の農家を復元して、ハイジの人形が飾られている。フィクションをビ゛シュアル化して観光の対象に仕立てる手法は、洋の東西を問わず共通のものらしい。牧場からの眺めは雄大で、見渡す限りの葡萄畑の向うは山々の連なりがある。日本人の若い女性2人がベンチに座っている、大学卒業記念にスイスなどヨーロッパの旅を楽しんでいた。バスに戻り今日の目的地ダヴオスに向かう。道が山間部に入って行くと、英国皇太子がスキーに訪れるというクロスターを通過する。猪谷千春が銀メタルを取ったゲレンデも見える。さらに高度を上げていくと四方をスキー場に囲まれたダヴオスに着いた。この街はスイス有数のコンベンション都市で、立派な大型ホテルが多い。我々の宿「ホテルジーホフ」は四つ星で国際会議では中東の国の閣僚級の宿になっているとのこと。部屋は広く豪華で山歩きの宿にはもったいないくらい贅沢だった。

 
 日本人が旅行者が多いのかようこそハイジの里へと書かれた案内板右上がハイジの生家

7月11日〜12日(4〜5日目)
登山口のデルボーデン
に立つ標識

 7月11日〜12日は、今回の山旅のハイライトであるケッシュ小屋に泊まるコース。
当初の計画ではセルティック峠を越えて山小屋に至ることになっていたが、今年は残雪が多く峠の雪が消えていないため、少し遠廻りになるがスカレツタ峠経由に変更した。登山口のデルボーデンまでは約40分のバスの旅。谷川沿いに集落が続き、放牧の牛の群れが遊んでいる。歩き始めるとすぐに森林限界を超えて草原状の道になる。
 コバイケソウそっくりの植物が群生しているが、花の形と色が異なる。イワカカミやサクラソウに良く似た花も混じっている。アルペンローゼやエンチアンは多いが、エーデルワイスにはお目にかかれない。雲が多く、遠くの山並みはガスの中に隠れているのが残念。

 徐々に高度を上げていき、2739メートルのスカレッタ峠まで来ると雪渓が現れた。谷筋の道との分岐付近て゜昼食を終えた頃、雨が降り始めた。雪渓が幾つも連続するようになり、中腹をぬう山道まで雪に覆われてきた。はるか下方に谷を見ながら慎重に進む。セルティック峠からの道との合流点では、沢にかかる橋が壊れていて、約30分の迂回。
先刻分かれた谷筋の道と再び出会う地点で、ようやく小屋が見えてきたがまだ遠い。
大きい雪渓を渡り、急坂を登ると小屋に着いた。

 石造りの三層の建物で、入口と食堂は二階、三階に寝室がある。小屋の周辺には、残雪の間に高山植物が咲いているが、雨が激しくなり外出する気にはならない。
相客のドイツ人のカップルは,明日周辺の山に登るというが雨だったらどうするのだろうか。寝室は二段ベツトになつており、寝具は清潔で気持ち良い。夕食はスープ・サラダ・バスタにデザートが付くというコース料理で、この辺が日本の山小屋とは全く違う豪華なメニュウである。
 翌日も雨、パントヨーグルトとコーヒの簡単な朝食だが、いずれも本場の味いささかも手抜きがないバンも美味しい、食文化の違いを思い知る。雨具を付けて出発。下りは昨日と違い雪はない。花の草原のなかを歩いて行くと集落が見え始めた頃、雨があがった。

 高度を下げて行くと植林帯に入り、間もなくミグナイラの集落に着いた。
ここから先は車道と山道を交互に歩くことになるが、これがけっこう長い。12時ベルギュン着。村のレストランの昼食はスイス風カレーライスという珍品だった。迎えのバスでダヴオスに帰り、ホテルで汗を流した後は街へ出て、ショッピングと食事。名物のミートフォンンデュは牛肉オンリーで野菜はない。われわれ日本人には量が多すぎた。
【スカレツタ峠越えトレッキング】

【ダヴオスへの下り道】



7月13日(6日目)
 7月13日は移動日。ダヴォスブラック駅には真赤な氷河特急が待っていた。サンドウイッチと果物とジユースの弁当を持って列車に乗り込む。おとぎの国にでも行くような気分だ。車輪の半分を透明の扉で区切って、貸切にしてあり、十分にくつげるのが嬉しい。この日初めて快晴となり遠くの山がハッキリ見える。出発してしばらくするとおみやげの車内売りが来た。写真集・絵ハガキ・人形などのほか傾いたグラスなどが珍しい。カーブが多く列者が傾いても水がこぼれないようようになっている日本にはないので土産に数個買った。
 車窓にはすぱらしい大パノラマが展開する。遠くの山並みの頂上付近は残雪と氷河。次々に通過する田園風景は、尖塔を持つ教会を中心に広がる小集落の連続。線路の両側は花一杯の牧草地カ゜切れ目なく続く。時折美しい湖と針葉樹の森、巨大な岩盤をくり抜いたトンネルと目もくらむような鉄橋が現れる、何しろ時速60キロ、世界一スローな特急列車だから、景色を眺めるには最適だ。線路が曲がりくねつているため、窓から身を乗り出せば列車の先頭部をカメラにおさめることができる。子どものようにはしゃいでいる間にあっという間に四時間が乗り過ぎ、乗り換えのアンデルマットに着いてしまった。バスに乗り換えてチューリッヒに入る。スイスの最大都市だが人口は僅かに三十万人。繁華街は中央駅からチューリッヒ湖に至る約約2キロのバーンホーフ通りだが、一歩横に入ると昔ながらの石畳の古い街が現れる。四ツ星のグロッケンホフホテルに荷物を置いた後、寺院やチューリッヒ湖を散策をする。夜は市内のレストランでスイス最後の夕食を楽しんだ。

7月14日(7日目)
飛行機の出発まで少し時間があるので市内の半日観光を楽しむ、ダリの絵をステンドグラスにした教会は、寺院そのものが豪華な美術品である。バスでチュリツヒ大学に向う。大学は、市街地の眺めが良い丘に建っている。幼稚園の子どもたちも遠足に来ている。昼の弁当を食べていたので梅干をやると驚いて吐き出した。チューリッヒ空港に戻り、出国手続きを済ませ飛行機に着席した途端ハプニングが起こる。タキシングが始まった途端、エンジンに鳥が飛び込んだので、一旦ターミナルビルに戻りエンジンの整備が完了するまで待機。航空会社から配られた金券で名物料理のリューシティ(シジャガイモをベースにしたピッツァ)を食べる実に美味しかった。三時間遅れでチューリッヒ空港を出発する。再び十三時間のフライトの後十五日朝、関西空港に無事着陸。飛行機を出た途端ムットする暑さと湿気に、ヨーロッパの夏との違いを実感した。