【山記録】
     鳴子山
日時・天候 2013年08月05日(月)晴 
山名・ 山域   鳴子山(371.8m)国束山(411m)  三重・玉城町
交通・駐車地等 登山口の弘法石へ駐車(4台位駐車可能))
コース・タイム  弘法石登山口(10:20)〜分岐(10:30)〜鳴子山(11:20-30)〜国束山(11:45-12:20)〜坂井へ下る(13:10-13:40)〜国束寺跡(15:00-15:15)〜弘法石登山口(16:00) 総タイム5時間40分
●標準コースタイム 3時間余り(休憩・探索・撮影タイム除く
●標高差+698m−732m
●距離沿面距離76km
 人数  単独

【軌跡・山旅400000図】
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【山記録】
坂井参詣道は荒れていた。、坂井道をピストンで往復する。参詣道の面影が残っていた「12町石の石碑」、「是より東西殺生禁」、「是より国束寺境内」と信仰の山らしい石碑があった。残念なのは、P292を通らず巻き道を行ったことである。地図を持っていかなかったのでルートを読めなかった。途中でGPSを見たが後の祭りだった。この坂井道は、荒れ放題である。最近、人が歩いた形跡なし。坂井から入ると、登山口分かりにくい。登山口にテープはあるが標識もなし。その先にもテープ(谷道)あり。多分山師の道だろうが分かりにくい。初心者は、経験者と同行してほしい。今回は、原から国束山に登り坂井道を往復し原に戻るコースを歩いた。沿面距離は、ほぼ7.6キロでした。
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昔、山頂にあった国束寺。今は、廃寺跡として明るく開け大きな広場となっている。廃寺跡の疎石や神社などが点在し椅子テーブルもあり休憩所としても利用できる。中央には寺の資料が展示されている。絵図を見ると当時はかなり立派な寺であったことが忍ばれる。一段高い所の国束山頂には奥の院もあった。風月にさらされた文献は、かなり傷んでいるが何とか読める。涌福智山・国束寺は、聖徳太子の発願で1400年以上の歴史があり現在の国束寺は戦後(昭和27年)に平生に移設し山を下りた。と記されている。平生集落に建っている今の建物は、昔の面影はなく歴史に追いやらた感さえする。国束山は、国束寺跡と思えば分かりやすい。展望はない。原や平生からは、一般ルートである。しかしながら歩いて周回すのはしんどい。(単車か自転車で置車をしないと)今回は。

【アスピア玉城】

 この画像は、2013年アスピア案山子展の作品です 9月に撮影したものです。 左写真のバックは、伊勢高速と国束山です。

【弘法石登山口】
左、一般道登山口。直進は谷道ルート。

【谷道と分岐】
 未舗装の荒れた山道に入る(右) イワタバコはまだ咲いていなかった。サワガニのいる湿っぽい森

【荒れた林道に入る】
1キロ余り歩くと行き止まり。今日は、湿気があり蒸し暑い。蛭のいそうな気配である。長袖長ズボン・スパッツの上に「ヒルノック」を振り掛け対策をしてきた。 

【ヤブに入る】
 鳴子山の尾根筋に向かう。ヤブの中に入ると頭にも要注意である。白い帽子のツバの上に乗っていた。野球帽なら首筋に入ったかと思う。ゾットする。今日は、全部で3匹遭遇した。 

【鳴子山頂】
 鳴子山山頂。展望なし。三角点あり。山頂から北に100mほど先に樫の大木あり。

【大赤樫の木】

【谷道との分岐】
谷道を登って来るとこの尾根に合流する

【国束山】

【国束山から坂井に下り再度登り返す】
 最近、人が通った痕跡なし。下に来るほど荒れていた。

【坂井から国束山への参詣道】
 案内標識なし。今は、平生にお寺があるので国束山へ登る人はいないようだ。

【分かりにくい入口付近】
池の向こうにP292が見える。上右 通せんぼの標識ですが、理解できません。池の奥に行かないと登山口へ行けません。

【石地蔵】

【登山口】
 左の所に登山口という標識がない。手前にも奥にもテープが巻かれているので要注意。奥は、山師が付けたと思われるテープか。谷筋の道。 

手入れされた植林の谷上部(左)に来るとP292のへの尾根下に出る(右)

【この先の山域は、国束寺境内との石碑が建つ】

【標石と石地蔵】


【石地蔵】

【標石と石地蔵】


【国束寺跡】

【現在、平生にある国束寺】

2012.08.27 国束山行者道