【山記録】
日時・天候 2015年11月03日(火 ) 天候 晴
山名(山域・伊勢近辺) 鳴子山(374.8m)・国束山(411m)・大日山(302.5m)・的山(269m)
駐車地までタイム 自宅(伊勢市内)から20分。
コースタイム
玉城弘法の湯(9:33)~国束山登山口(10:02)~鳴子尾根に出る(10:45)~鳴子山(11:02-07)~国束寺跡(11:24-30)~国束山(11:35-40)~国束山域境内石碑(12:18)~国束寺昼食(12:28-13:10)~大日山参詣道口(13:55)~大日山(14:32-42)~的山南峰(15:22)~的山(15:40-15:50)~積良山分岐(16:04)~積良山登山口(16:40)~玉城弘法の湯(17:13)
総タイム7時間40分(休憩70分程度含む)
コースタイム6時間30分 
距離/累積高度差 沿面距離10.1km 累積高度+879m -869m
団体名・参加人数 単独

【軌跡・山旅40000図】

【足跡】 
<初めに>伊勢の里山4山(鳴子山・国束山・大日山・的山)へ初めて縦走した。国束山と大日山は、参詣道とし古くから地元の玉城町や度会町から登られている。鳴子山は展望はないが三角点のある山としてまた国束山に近いことから手ごろなハイキングの山として親しまれている。的山は、東屋などが近年整備され伊勢湾・伊勢平野の大展望が目玉で超人気の山となった。この4山縦走の起点としては、玉城弘法温泉がベターであろう。縦走といっても国束山からは、一旦度会町平生に下り度会町牧戸まで里道を歩いて大日山参詣道から大日山に登り大日山~的山~積良山手前まで縦走する。下りは、積良山登山道を歩いて玉城弘法温泉まで戻る。多少アップダウンのあるコースである。距離は、10km余ある。だが、大日山から的山へいく明確な道がないので登る人は少ない。今回、このコースの探索に出かけた。
<鳴子山>今回は、谷道から分かれて古道を歩いたが途中から道は消える。尾根に上がれば道あり。通常は、谷道から入る。
<国束山>2013年8月来た時は、寺跡一帯は木が鬱蒼とし暗い感じがした。今は、周辺一帯が伐採され明るくなった。短く切られた木は、自然と調和するような造形物として寺跡に置かれていた。山頂前も伐採されたので、伊勢湾から牛草山方面までワイドに見えイメージチェンジした。平生参詣道を歩いて国束寺へ向かう。参詣道には、石地蔵が1町石毎に置かれている。石字には「天保15辰年」と刻まれている。西暦1844年幕末後期となる。今から170年前ということか。石地蔵は、風雪に耐え痛みは少ない。朝熊の石地蔵と比べて石が大きくて立派である。
<大日山>大日山は、標高302mと低山だが里から見ると絵に描いたようなお山で個性ある容をしている。参道口から700mほど入った山道にアサマリンドウが5株咲いていた。11月なのに花はまだ活き活きとしていた。参道口から30分余りで山頂に着く。山頂は、樹林に覆われ暗い感じがする。真ん中に鳥居と祠があり信仰の山らしい光景。山頂の中心部かから少し離れたところに三角点がある。木の枝に山名札がいくつもぶら下がっていた。
<探索>大日山祠の後ろからダイレクトに降下する。予想していたより厳しい斜面で手こずる。安全に降りるならロープが欲しいが持っていない。バックしょうかとも思ったが体制(三点支持ができない)が崩れて下へ下へと引きずりこまれる。尻を付いて滑るように落下。怪我はしなかったが危険と隣合わせで100mほど降りると安全地帯に着いた。地形図にある道を何とか探しこの道を辿るが、倒木で荒れ果て前進を阻まれる。大日山の北尾根に来たら古い標識があった。ここから、ヘリポート広場(的山南峰239m)までの道は、古い標識が時々出てくるが踏み跡薄くテープもなし。シダが密生し道は消えていたところもあり経験者でないと迷いそうなとろでした。
<的山>山頂は、広々とした小高い丘に東屋が建つ。東屋には温度計・湿度計等観測器や雑記帳も置かれている。ノートを見ると沢山の人が記帳していた。伊勢湾や伊勢平野の大展望は何とも魅力ある里山でした。

【駐車地】

左、駐車地の玉城弘法温泉。背景に見える山は、左、国束山。右、鳴子山。
右、伊勢道の下を渡り登山口へと進む。

【国束山登山口】
上左、弘法石
上右、国束山登山口。
下、分岐。
鳴谷山への道をとるが、途中で道はなくなる。
秋、サワガニはまだまだ元気。

【大赤樫】
 天然記念物「大赤樫」の木。 鳴谷山手前50mにあり。

【鳴子山】 
 鳴子山は樹林にに覆われ展望なし。山頂には山名札が沢山ぶら下がっていた。平凡な山で魅力に欠ける。

【国束山】 

山頂前が伐採されたので、伊勢湾から牛草山方面までワイドに見えた。

【国束寺跡】 
2013年8月来た時は、寺跡一帯は木が鬱蒼とし暗い感じがした。今は、周辺一帯が伐採され明るくなった。山頂の展望も良くなりイメージチェンジした。短く切られた木は、自然と調和するような造形物として寺跡に置かれていた

【平生参詣道】 
石地蔵には「天保15辰年」と刻まれている。西暦1844年幕末後期となる。 今から170年前ということか。石地蔵は、風雪に耐え痛みは少ない。朝熊の石碑と比べて石が大きくて立派である。
 

【従是国束寺境内の石碑】 

 石碑のある場所が、国束山登山口といっても間違いはではない。

【国束寺山門前にある標識】 

 国束寺前に国束山登山道の標識あり。地図上では、ここを登山口とした。

【国束寺】 
 伊勢西国九番のお寺としてこの地方の信仰は厚い。寺の横には花の庭園があり。ここで昼食をとる。寺の奥からも国束山に登れるが新道路を横断しなければならない。

【平生の里】 
 国束寺から大日山登山口へと向かう。平生の里から大日山・国束山・神岳などが見えた。

【大日山参詣道登山口】 

 度会町牧戸に新しくできた道路の法面上に「参道登山入口」と書かれた標識がある。ここから30mほど先に入口(上の写真)がある

【大日山へ】 
 大日山は、標高302mと低山だが里から見ると絵に描いたようなお山で個性ある容をしている。山頂には、三角点もある。山名札がいくつもぶら下がっていた。参道には、アサマリンドウが5株咲いていた。モトクロスバイク2台が上がってきた。若い人「すみません」と言ってーー

【大日山から的山へゲキ下り】 
 大日山から的山までのルートは、初めてである。地形図を見て40m真っ直ぐ降り、そこから左谷筋へ70m降りたら緩くなると計算しダイレクトに下降した。普通なら等高線の幅広い右尾根沿いに降りるのだが、一番厳しい谷筋コースを選んでしまった。 掴まるところがなく一点支持の状態で宙ぶらりん尻を付いて何度か滑り落ちた。バツクするにも体制が悪すぎて戻ることさえ難しいゲキ下りでした。 低山なので甘く見ていたのが反省点です。 なお、左地図「大日山標識あり」のところに来て薄い踏み跡あり。等高線の広い尾根に向かって大日山への道がありそうな気配です。 

【分岐にある標識】 

平生道は、倒木で荒れていた。

【ヘリポート広場・的山南峰】 
 ヘリポート広場への道には古い標識が時々でてくる。踏み跡薄く、シダが道を塞ぎ荒れていた。 広場の向こうの山は、大日山。北側の道沿いにいせ青木の名札「的山南峰239m」がぶら下がっていた。 

【的山。伊勢湾と伊勢平野の大展望】 

【尾根筋の道を歩いて積良山登山口へ下山】 

左、尾根筋の道。右、積良山登山口へ下山。

2013.08.05 国束山・坂井参詣道