【金剛訟寺】
 伊勢音頭の一部「お伊勢参らば朝熊を駆けよ。朝熊かけねば片参り」と唄い継がれてきた。
 金剛証寺の草創は古く、欽明天皇の頃、暁台上人が草庵を結び、天長2年(825)弘法大志が真言密教の大道場を開き、勝峰山兜卒(とそつ)院金剛証寺と称した。
 その後、応永年間(1400)頃鎌倉の建長寺開山大覚禅師の法孫仏地禅師(東岳文晏禅師)が、法燈の衰微を嘆き、再興致し、禅寺に改め、現在は済宗南禅寺派、別格本山である。
 本尊、福威智満虚空蔵菩薩は、日本三大虚空蔵菩薩第一位にして福徳智慧を授ける。
 
現世利益の仏様で、伊勢神宮のご遷宮の翌年(平成6年)に御開帳を厳修した。、

【仁王門】 
左、
仁王門裏には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまがおりまする。

右、
仁王門表には、仁王さまがにらみをきかせてます。

下、
仁王門石段下にある説明板。伊勢朝熊ケ岳から十八州遠望絵図がある。富士山も描かれている。

【開山堂】

左、開山堂は弘法大師を祀る。

【太鼓橋と睡蓮の池】

蓮の花
正式名、蓮珠橋。
寛文2,年(1657)浦田織部氏により架橋された。

この橋は念珠の型を模写して橋を境に俗界聖地を表している

下、
池の前にある売店。

【弘法大師のお堂ほか】
左、
開祖・弘法大師のお堂。

上右、
矢負地蔵尊。人の危難を防ぐ


左、
鐘樓堂
重量2700kg
昭和8年に建立。
 平成13年建物は取り壊されている。
左、
平成15年に建替えられた鐘樓堂

【本堂 魔尼殿(まにでん)>重要文化財
上、
国指定の重要文化財の摩尼殿。

左、
石段下から見た本殿。桃山時代の建築歴史の重みがある。

下、
慶長14年(1609) に姫路城主・池田輝政が造営し、元禄14年(1701)
徳川桂昌院の修理を経て平成6年(1994)桃山当時の特色をそのままに新しく蘇った。

【建物、庇の飾り彫刻。下段、境内にある置物。】

【金剛訟寺の宝物】
左、
雨宝童子像。
平安時代。像高102cm重要文化財弘法大師の作と伝えられている。 天照大神が日向国に下向された際の姿という

右、
木造地蔵菩薩像(矢倉地蔵)鎌倉初期作
 人の危難を防ぐため身代わりとなって矢を負われたので「矢負い地蔵」とも呼ばれ、永享元年(1430)当山二世高岳禅師が創立した与楽院の本尊である。
 表情円満引き締まった荘重な形相は平安時代の作風。


【極楽門】
 極楽浄土の門を通ると大小一万本の塔婆があり線香の臭いが立ち込め、霊界にでも来たような異様な雰囲気をかもしだしています。  
 鳥羽藩主九鬼義隆公などの古墓あります。
 開山忘には、伊勢、鳥羽、志摩、度会その他各方面からお参りに見えます。

【江戸時代事件、油屋騒動お紺の石碑あり】
 極楽門直ぐ後ろには、
 寛政8年(1796)に起こった油屋騒動事件で、主人公となったお紺の墓があります。
 この事件を元に古市歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」ができた。

【戦死した詩人竹内浩三もここに眠る】
山門直ぐ後ろにあり。
 地元出身。宇治山田中学校卒業後、間もなく出征し戦死しました。
 彼の遺した詩集が、今出版され話題になっています。
 礎になった先人たちの叫び声が聞こえてきます。
 今の人たちにぜひ読んでほしい本です。

【大小一万本の卒塔婆群】
 参道には群や,各宗派を問わず神道に至るまで、死者の供養をする卒塔婆が林立し、毎年6月27日〜29日の開山忌は数万人の人々が参詣する。

【卒塔婆の功徳】

 <卒塔婆の功徳>
 一度卒塔婆を見る者は、長く三悪童(さんあくどう)を離る如何(いか)に況(いわん)や建立(こんりつ)せらる、者は必ず安楽国に生ぜん
 卒塔婆は略して塔婆と呼び、仏様の理知を現わしています。

 功徳とは、善行の結果として報いられ仏様が人々に与える恵みのことです。

 ひときわ高い塔婆なので人目に付く。
 鳥羽出身の演歌歌手の名が二人書かれている。お母さんでも亡くなられたのだろうか。

【著名なご先祖さまのお墓あり】
上左、
神宮ご遷宮の初祖慶光院清順尼の墓。

上右、
鳥羽藩主九鬼嘉隆公の五輪塔碑。

左、
奥の院参道にある古い時代のお墓。

【奥の院の山門】
上左、
山門下に置かれた葵マークの鬼鬼瓦あり。
 平成5年に本堂建てかえられたので、建替え前の鬼瓦でしょうか。

上右、
現在、開山堂の鬼瓦 。

左、
奥の院山門


【奥の院】
 奥、本尊延命子安地蔵菩薩(安産地蔵)を祀る。

 手前、奥の院(呑海院)

【奥の院の中にある地蔵菩薩の石佛群】
 百体を越える石佛は、相形を百様に異なっており、それぞれに誰かに似ていると言われております。ここへお参りされる方々は、今は亡き親戚に似ている佛様を見つけて心を重ね、恋慕の思いを祈りにして、菩提を願いお参りされています。

【奥の院御本尊】
 ご本尊は、地蔵菩薩で、お釈迦様が入滅し弥勒菩薩(みろくぼさつ)が世に出るまでの間、人々の悩み、苦しみ、悲しみなどの声を聞いて、すべての人々を教化、救済した後で成仏をするという誓願した仏様です。

【奥の院奥にある富士見台】
上、
富士見台

左、
富士見台からの展望。
ガスで富士山は見えず、
手前の尾根は、山上公苑に延びる尾根。鳥羽湾の小浜、答志島、菅島が見えてます。

【極楽門外にある松尾芭蕉の句碑】

経塚と山上公苑