国宝・朝熊経塚遺跡
<経塚のある場所>
 朝熊峠から、舗装した道を200mほど行くと、この看板の建つ三又路(現在地と書かれている所)に出ます。
 左の坂を400メートル登って行くと八代竜王(朝熊ケ岳山頂)との分岐。少し先に案内板があります。 
 手前は、谷へ降り奥の院へ行く道です。少し先に分岐あり。右は、NTTの電波塔道です。この奥からも行けますが、左の経塚道をとる。分岐から300メートルほど先に道標があります。
 指示に従い右側の道100メートルほどで遺跡のある場所にきます

<あらまし>
 金剛証寺本堂の西南にある、経ケ峯は、古来大木が茂り、もの寂びた所であった。
 明治27年(1894)ここから陶製経筒が発見された。
 朝熊山は神宮の鬼門にあたり、神宮鎮護の霊場とし、また経塚のあるところは霊地として尊ばれていたので、発掘などのこともなく、内容不明であった。 ところが、昭和34年9月伊勢湾台風による倒木整理中、陶経筒、銅経筒,阿弥陀三尊来迎鏡像をはじめ多数の遺物が発見された。
 
 これらの遺物は昭和38年一括して、伊勢朝熊山経ケ峯経塚出土品として、国宝に指定された。
 また昭和37・38年の2回にわたり発掘調査が実地され、陶経筒6、銅経筒2、銅鏡10、瓦製多宝塔残片が発堀された。
 これにより神官僧侶などによる朝熊山を中心とする埋経信仰が明らかになった。
 これらの史跡も昭和41年4月15日、朝熊山経塚群として、国から史跡に指定された。
 日本の経塚に関する膨大で有力な資料が、提供された意義は大きいとされています。
  

 周辺案内図

 案内  歴史等
時代 平安後期(1156〜1186)
所有者 金剛証寺
所在地 伊勢市朝熊町字岳(経ケ峯)
国指定史跡 昭和41年4月15日

 
上、
100m手前の標識。下の分岐から来るとこの標識あり

左、
朝熊ケ山頂手前の分岐。

直進、経塚群跡へ。
右、電波塔へ


朝熊経塚群(国宝)入口

 <出土品>



山上公苑